カブで日本半断 2日目 国鉄天国松山 そして予讃横断
1日目は別府よりフェリーに乗船し終了。
2日目はというと八幡浜で迎えました。
午前2時20分に。
というのも5時30分までは船内休憩ができるのですが予讃線の始発が5時35分、そしてキハ185系で運転。これは撮り逃すわけにはいかないわけで。
とういことで眠い中八幡浜駅をバルブ。
松山の気動車たちが眠っていました。
撮影後は仮眠のために千丈駅へ。目覚ましを5時にセッティングし、予定通り起床。
一路大洲へ向かいましたが大洲城へ寄り道。
5時半の大洲城、さすがに誰もいませんでした。
オタクは変な時間に観光地へ来がち pic.twitter.com/Q8EF3PX8Wt
— さんおた (@VVVF3700) 2018年8月29日
海を渡り1本目の撮影が再びキハ185
日の出まであと少しでした。残念。
620D、内子経由松山行き 以下 伊予大洲~五郎、新谷
朝の松山地区は3連が2本もあるのですがキハ47が撤退してからはこのように単行を3つつなげています。
912D 伊予長浜回り松山行き
改正前までは2000系最長の8両を組むこともあった1052D、すっかり短くなってしまいました。
1052D 特急宇和海2号 松山行き
こちらは先ほどとは逆の32サンド。長さの違いがよくわかります。
622D 内子経由松山行き
予讃線不通の影響でこの頃は毎日この組成で走っていたようです。
暫定ダイヤ中は日中に動かないという特殊な運用の組まれ方がされていました。
やっと順光でキハ185の松山車を抑えられました。
4632D 内子経由松山行き
そして棚ぼた案件。実は定期では存在しないキハ54重連運用。暫定ダイヤにより卯之町より先が不通のため運用変更が起き、キハ185の運用をこちらで代走。
913D 卯之町行き
その後は適当に予讃線を撮影しつつ伊予市まで北上。伊予市から松山までは電車で移動し駅前の温泉で仮眠を取りました。
そして本来は日中に高松へ移動する予定だったのを切り崩し松山へ残ったのは。
キハ185の夕方の海線代走。
朝の913Dで八幡浜への送り込みを中止した分を夕方に送り込むというものです。
この後3発追っかけ。
2018.8.30 予讃線927D 下灘、伊予長浜~伊予出石 pic.twitter.com/bUurLYpIBn
— さんおた (@VVVF3700) 2018年9月12日
そしてここから下灘に寄りつつ怒涛の予讃横断開始。
伊予鉄の終点、横河原付近のセブンイレブン 東温南方店を9時に出発。
そこからノンストップで予讃県境の道の駅とよはまへ。23時8分と2時間ぶっ通しで走りさすがにクタクタでした。30分休憩しスーパーへ寄りつつ快活宇多津店についたのは0時52分でした。意外と県境からが長かった・・・
1525.2kmでしたので大体300km移動しました。今思えばこれが最長移動でしたね。
カブで日本半縦断 1日目 晴れほとんど曇天
6月末にカブを購入して早々のおはなし
夏の帰省を考える時期で夏休みに入った瞬間にカブで名古屋へ行き置いたまま熊本へ戻ったりする等いろいろ案が出ていました。
しかしバイトの休みが思う様に取れない、そもそももっと働かないとお金がないという問題が発生。8月頭の帰省日数が大幅削減され明らかにカブでは帰れなくなりこの夏は18きっぷで帰ることに。
しかし問題は更に続き、7月頭に山陽本線が寸断。完全に帰省の費用が足りなくなる事案が発生。
新たに帰省ルートを考えていたところ、更新の進んでいる名鉄1000系とカブを一緒に撮影したいという点と用事(後述)がかぶったことで2回目の帰省をカブで決行。
1日目は熊本からスタート。
久大本線でキハ185の5連を撮影するつもりが起きた時点で1時間半遅延。
準備を巻いてなんとか1時間延で出発しましたがまぁ間に合わず。
結局ゆふ森1号からスタート
7001D ゆふいんの森1号
豊後中川~天ヶ瀬
天ヶ瀬温泉で入浴して次へ移動。
7003D ゆふいんの森3号
慈恩の滝のある場所でゆふ森も減速運転。この横の道の駅でずっと時間潰してました。
ゆふ森2号も同じ場所で撮ったので省略。
で、ゆふ3号の時間。背景は雲一つなくバリ晴れ、順光でおいしく。
の予定でしたが2分延でみるいみるうちに雲が広がり更には道に迷ってきたプリウスが沈下橋を渡りフレームイン。編成はゆふ色3連を頭にした5連という美味しい編成でしたがシャッターを下ろす気にもなれず・・・
その後のゆふ4号だけ撮影してもうこの日は撮り鉄を終了。
84D ゆふ4号
豊後中川~豊後三芳
一路別府を目指し、この日は八幡浜行きのフェリーに乗船し一日が終了。ほぼ190kmを走りました。
2018年8月2日 SR&185day
8月1日より帰省したので早速ムーンライトながらの撮影へ
免許を取って初のシーズンイン、そして全便ストライプで運転される初のシーズンなのでやる気満々で出撃。
その前にSRで運転される620Cに間に合いそうだったのでそちらを撮影
620C 5705F
速攻で移動してながらを撮影。
30分後にニーナがいたこともあり同業者がいたのは驚きでしたね。
快速ムーンライトながら大垣行き 9391M B7編成+B4編成
そのあとはまた名鉄へ転戦。1131Fが岐阜停泊でどちらに入るかと思ったものの先発の方へ。
62レ 1131F+1806F
3100-2先頭でオール赤電の快急、最高ですね。
624A 快急河和 3119F+3523F
次の特急は1700、B2未更新来ただけでもうれしいのにこれは棚ぼた
64レ 1704F+3107F
次の快急はLED車とわかっていたので縦で。
さすがに縦で撮ればそこそこ目立ちますね
1700が岐阜に向かってったのを見たので折り返しは縦で。
276レ 1703F
802レ 3519F+3500
移動して甚目寺から名古屋回送のB2を撮影へ。
渋滞してたもののギリ間に合いました。
1011F
これでB2未更新がどちらも日中ドボンしたので暇に。
暇つぶしに関西線撮って帰りました。
2356M K52
祖母宅へ顔だし午後は185系が下ってきていたようだったので木曽川で下してもらい撮影へ。
シングルアームの185は見慣れないですね。上りが撮れるのもこれくらいしか機会がないので下りは捨てて上りだけ。
天理臨 OM03編成
その後はSRの急行新羽島を撮りに茶所へ。
また5705Fでしたとさ。
1892レ 5705F
昭和の2ドア車だらけな1日でした。
うどんの国の元黄色電車 600形(元東山線250形)編
前回述べた通り、ことでんで活躍する名古屋市交通局の車両(以降、黄電と表記)は3形式が活躍しています。
しかし名古屋時代はことでんの形式とは全く違う形式分けをされていました。それによる差異などを今回からは紹介していきたいと思います。
題名通り今回は600形です。
600形といえば2年前まで東山線で活躍していた、5000形と似た顔が特徴です。
名古屋の地下鉄らしさを直感的に感じられる車両ではないでしょうか。
しかしこの600形にも黄電時代には3種類の歴史を歩んでいます。
1つ目は名古屋時代から先頭車だった車。
2つ目は東山線の中間車だった車へことでん移籍時に運転台を設置した車。
3つ目は名城線の中間車だった車へことでん移籍時に運転台を設置した車。
今回は1つ目の250形だった車両を紹介していきたいと思います。
東山線時代からの先頭車は601-602、621-622、623-624、629-630の4編成が在籍しています。
まずはこの4編成に共通する特徴として、名古屋市交通局5000形の量産車に合わせ、運転台の窓が金属抑えとなっています。黄電の中では唯一の金属抑え車両となっており、外観上一番目立つ特徴です。なお、黄電時代は金属がむき出しでアクセントとなっていましたが、ことでんでは車体と共に塗装されており一体感が出ています。
2つ目の特徴は運転台のベージュ色の壁紙。ことでん移籍時に車内の壁紙は張り替えられたものの、運転台はそのままで残っており、黄電時代に設置された昔懐かしいベージュ色の壁紙が残っています。*1
3つ目は私も3度通ってようやく気付いたもの。なんと運転台に黄電時代に先頭車化改造を受けた際の銘板が設置されており、そこには中間車時代の車両番号も残っています。*2
また全編成がことでん導入時から転属をせず、同じ路線に留まっています。
629編成のみ、6両編成全車両が再就職していますが、他の車両は廃車解体されています。
601編成。平成10年7月13日に竣工し、東山線時代は601号車が251号車、602号車は252号車を名乗っており、黄電時代と共に、ことでん移籍後もトップナンバーを掲げています。1997年に5164H*3に置き換えられました。250形は(名古屋市交通局)700形*4を改造しており、元を辿ると251号車は743号車、252号車は746号車となっており、どちらも昭和48年12月に製造、昭和58年10月に改造、改番されています。
なおこの601編成が250形から長尾線へ導入された唯一の車両となっています。
また601号車は何故か運転台窓がゴム抑えに変更されています。(黄電時代とことでん移籍当初は金属抑え)
621編成。平成10年7月13日に竣工し、東山線時代は621号車が261号車、622号車が、262号車を名乗っていました。1997年に5165Hに置き換えられました。
更に元を辿ると261号車は733号車、262号車は762号車で昭和46年11月に製造、昭和61年10月に改造、改番されています。
現在の特徴としては622号車のみにHMステーが取り付けられています。
623編成。平成10年11月20日に竣工し、東山線時代は623号車が265号車、624号車が、266号車を名乗っていました。1997年に5166Hに置き換えられました。
更に元を辿ると265号車は727号車、266号車は760号車でともに昭和62年11月に改造、改番されています。なお製造は265→623号車は昭和46年11月、266→624号車は昭和48年12月に製造となっており、編成内で製造年が違います。
この編成は現在、瓦町FLAG号となっており目を引く存在となっています。
HMステーについては両側非設置となっています。
またここまでの3編成は前期改造グループで冷房装置は両端が小田急3100形のCU193、中央が京王のRPU2203を使用しており、凸凹とした見た目になっています。
629編成。平成12年7月21日に竣工し、東山線時代は629号車が255号車、622号車が、256号車を名乗っていました。1999年に5172Hに置き換えられています。
更に元を辿ると255号車は751号車、256号車は754号車でともに昭和48年12月に製造,
昭和59年9月に改造、改番されています。
この編成の大きな特徴としては250形で唯一、編成単位でことでんへと移籍しています。(これについては次回詳しく解説します。)
また、平成16年8月から平成24年ごろまでサンクス号として活躍していました。(実家に写真があるので後日追加できたらと思います。)
この編成のみ250形編入編成では唯一の後期改造グループで、冷房装置が両端部が元泉北高速鉄道100系のCU191P、中央部が元京王のRPU2203と比較的統一感のある冷房となっています。
HMステーは両側非設置となっています。
以上4編成が元東山線250形からの編入編成となっています。250形自体18両のみの改造でそのうち8両がことでんに移籍しており、半分ほどが未だ日本で活躍しているのはとても嬉しいですね。アルゼンチンには4両のみが中間車と共に移籍*5しており唯一、アルゼンチンよりも多く移籍した先頭車です。
次回は先ほど後回しにした629編成の元中間車たちの奇妙な経歴を紹介できたらと…
編集:2018.7.23 東山線時代に置き換えた車両が判明したため追加しました。
うどんの国の元黄色電車 概要編
高松琴平電気鉄道、通称「ことでん」
レトロな雰囲気を残す旧型車両が数多く在籍することで昔から有名だった会社、今では4両を動態保存で残すのみとなったが今でも毎月走っています。
またこの会社は現役車両が全て、他社の譲渡車両であることも特筆すべき点。京急から来た車両は数も種類も多いためとても根強い人気があり、京王電鉄の元5000系は富士急とは違う分散クーラーが特徴的でこちらも密かに人気を集めています。
しかし話題に取り上げるのはそれらではなく、きしめんの国からやって来た一際人気のない車両たち。それが今回からの主役です。
名古屋市交通局から来た車両には600形、700形、800形の3車種がいますが、形式が同じなのに違う顔だったり、形式は違うのに同じ顔だったり…。知識なしに見ると、とても難しい車たち。そんな個性的な彼らを少しでも理解して会いに行って楽しんで欲しいな。という思いで記事を書いていこうと思います。
これから約5回、
600形(元東山線車両)
800形
600形(元名城線車両)
700形
の順でわかりやすく解説してゆきます。
で、終わるわけにはいかないので今回は京急や京王に比べ小柄な黄電たちが何故ことでんにやって来たのかというお話。
現在のことでんの主力車両は18m級車体の京急と京王の車両。16mにも満たない黄電は専らラッシュの頭数稼ぎとなっています。
しかしなぜ全て大型車で統一しなかったのか、何故志度線では第一線で活躍しているのか。それは志度線は16m、長尾線は17mしか入線できなかったから。
特に志度線を走れるサイズの電車は、全国を見ても名古屋の東山線、名城線、東京メトロの銀座線しかなく、志度線は黄電のためにあるような第二の就職先でした。そのため初めは志度線と長尾線に集中投入されています。
なお、のちに長尾線は18m級も入線できるように改良され、そこで長尾線を立ち退いた黄電もいます。
ことでん入線に際し、全車両に冷房設置、パンタグラフの設置、車内壁紙張替えなど大きく改造されていますが台車は名古屋時代のものが使用されており、第三軌条特有の雰囲気が残っています。
細かな機器の改造内容についてはWikiに書いてあるし自分の専門外なので省略させていただきますね。
そんなこんなで現在は
志度線に600形12両、700形4両、800形4両の18両
の計28両が在籍しています。
次回は600形(元東山線車両)を紹介していこうと思います。