さんななメモ記録

備忘録を中心に書いていきたいな…と

うどんの国の元黄色電車 600形(元東山線250形)編

前回述べた通り、ことでんで活躍する名古屋市交通局の車両(以降、黄電と表記)は3形式が活躍しています。

 

しかし名古屋時代はことでんの形式とは全く違う形式分けをされていました。それによる差異などを今回からは紹介していきたいと思います。

 

題名通り今回は600形です。

600形といえば2年前まで東山線で活躍していた、5000形と似た顔が特徴です。

名古屋の地下鉄らしさを直感的に感じられる車両ではないでしょうか。

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しかしこの600形にも黄電時代には3種類の歴史を歩んでいます。

1つ目は名古屋時代から先頭車だった車。

2つ目は東山線の中間車だった車へことでん移籍時に運転台を設置した車。

3つ目は名城線の中間車だった車へことでん移籍時に運転台を設置した車。

 

今回は1つ目の250形だった車両を紹介していきたいと思います。

東山線時代からの先頭車は601-602、621-622、623-624、629-630の4編成が在籍しています。

 

まずはこの4編成に共通する特徴として、名古屋市交通局5000形の量産車に合わせ、運転台の窓が金属抑えとなっています。黄電の中では唯一の金属抑え車両となっており、外観上一番目立つ特徴です。なお、黄電時代は金属がむき出しでアクセントとなっていましたが、ことでんでは車体と共に塗装されており一体感が出ています。

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2つ目の特徴は運転台のベージュ色の壁紙。ことでん移籍時に車内の壁紙は張り替えられたものの、運転台はそのままで残っており、黄電時代に設置された昔懐かしいベージュ色の壁紙が残っています。*1

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3つ目は私も3度通ってようやく気付いたもの。なんと運転台に黄電時代に先頭車化改造を受けた際の銘板が設置されており、そこには中間車時代の車両番号も残っています。*2

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 また全編成がことでん導入時から転属をせず、同じ路線に留まっています。

629編成のみ、6両編成全車両が再就職していますが、他の車両は廃車解体されています。

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601編成。平成10年7月13日に竣工し、東山線時代は601号車が251号車、602号車は252号車を名乗っており、黄電時代と共に、ことでん移籍後もトップナンバーを掲げています。1997年に5164H*3に置き換えられました。250形は(名古屋市交通局)700形*4を改造しており、元を辿ると251号車は743号車、252号車は746号車となっており、どちらも昭和48年12月に製造、昭和58年10月に改造、改番されています。

なおこの601編成が250形から長尾線へ導入された唯一の車両となっています。

また601号車は何故か運転台窓がゴム抑えに変更されています。(黄電時代とことでん移籍当初は金属抑え)

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621編成。平成10年7月13日に竣工し、東山線時代は621号車が261号車、622号車が、262号車を名乗っていました。1997年に5165Hに置き換えられました。

更に元を辿ると261号車は733号車、262号車は762号車で昭和46年11月に製造、昭和61年10月に改造、改番されています。

現在の特徴としては622号車のみにHMステーが取り付けられています。

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623編成。平成10年11月20日に竣工し、東山線時代は623号車が265号車、624号車が、266号車を名乗っていました。1997年に5166Hに置き換えられました。

更に元を辿ると265号車は727号車、266号車は760号車でともに昭和62年11月に改造、改番されています。なお製造は265→623号車は昭和46年11月、266→624号車は昭和48年12月に製造となっており、編成内で製造年が違います。

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この編成は現在、瓦町FLAG号となっており目を引く存在となっています。
HMステーについては両側非設置となっています。

またここまでの3編成は前期改造グループで冷房装置は両端が小田急3100形のCU193、中央が京王のRPU2203を使用しており、凸凹とした見た目になっています。

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629編成。平成12年7月21日に竣工し、東山線時代は629号車が255号車、622号車が、256号車を名乗っていました。1999年に5172Hに置き換えられています。

更に元を辿ると255号車は751号車、256号車は754号車でともに昭和48年12月に製造,

昭和59年9月に改造、改番されています。

この編成の大きな特徴としては250形で唯一、編成単位でことでんへと移籍しています。(これについては次回詳しく解説します。)

また、平成16年8月から平成24年ごろまでサンクス号として活躍していました。(実家に写真があるので後日追加できたらと思います。)

この編成のみ250形編入編成では唯一の後期改造グループで、冷房装置が両端部が元泉北高速鉄道100系のCU191P、中央部が元京王のRPU2203と比較的統一感のある冷房となっています。

HMステーは両側非設置となっています。

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以上4編成が元東山線250形からの編入編成となっています。250形自体18両のみの改造でそのうち8両がことでんに移籍しており、半分ほどが未だ日本で活躍しているのはとても嬉しいですね。アルゼンチンには4両のみが中間車と共に移籍*5しており唯一、アルゼンチンよりも多く移籍した先頭車です。

次回は先ほど後回しにした629編成の元中間車たちの奇妙な経歴を紹介できたらと…

 

編集:2018.7.23 東山線時代に置き換えた車両が判明したため追加しました。

*1:この壁紙は100形から5000形まで使用されたが5000形は客室のみに留まっている

*2:一部車両のみ

*3:名古屋市交通局では編成をHと表記しています。

*4:200形を6両化する際に製造された中間車

*5:263編成と267編成